・冠動脈疾患における精密医療実現のためのゲノム解析
冠動脈疾患とは、心筋梗塞、狭心症など、心臓に栄養を送る冠動脈に狭窄や閉塞を来す疾患の総称であり、その背景には高血圧・脂質異常症など、動脈硬化を進行させる病態が存在します。冠動脈疾患は遺伝性が高い疾患であり、これまでに多くの研究が行われ、遺伝的変異と冠動脈疾患との関連が多数報告されてきました。冠動脈疾患との強い関連が示されたPCSK9遺伝子については、それをターゲットとした治療薬の開発に成功しています。また最近では、遺伝情報だけから作成される「遺伝的リスクスコア(GRS)」が、疾患発症を高い精度で予測することが明らかになってきました。このように、遺伝情報に基づいて病気の成り立ちを理解すること、治療薬を開発すること、病気の発症リスクを予測することは、今後、冠動脈疾患の医学・医療を進歩させるために重要な役割を果たすと期待されています。
冠動脈疾患の遺伝的背景についてより詳細に理解するため、私たちはバイオバンクジャパンのデータを利用し、アジア人において過去最大規模の冠動脈疾患の発症に関係する遺伝的変異の網羅的探索(Genome Wide Association Study, GWAS)を実施しました。この結果、ゲノム全体にわたる48の冠動脈疾患に関わる疾患感受性座位と73の遺伝的変異を同定しました。
発見された73の変異の中には、冠動脈疾患の発症に強く関わる変異が同定されました。病原性に最も強く影響したのは、コレステロール代謝に重要なLDL受容体の働きを大幅に低下させる遺伝的変異(ストップゲイン変異、LDLR p.K811X、集団内頻度 0.038%)でした。この変異は、冠動脈疾患を発症するリスク(オッズ比)が5と強い影響を示しました(図1)。この変異を持つと、持たない人に比べ冠動脈疾患を発症する可能性が5倍になると解釈できます。また、この変異を持つと血清総コレステロール値が平均57mg/dLと大幅に上昇することも分かりました。一方で、冠動脈疾患に保護的な変異も検出されました。PCSK9遺伝子は、LDL受容体の働きを阻害して冠動脈疾患の発症を促進することが知られています。PCSK9遺伝子の働きを低下させる遺伝的変異(ミスセンス変異、PCSK9 p.R93C)を持つと、血清総コレステロール値が平均20mg/dL低下し、オッズ比が0.6に低下することが示されました(図1)。さらに、これらの変異は日本人特有のものであり、他の民族集団には見られないことも分かりました。

次に、日本人のGWASの結果(約17万人)をヨーロッパ人集団のGWASの結果(CARDIoGRAMplusC4D研究の約18万人 、UKバイオバンクの約30万人)と統合し、計60万人を超える世界最大規模の冠動脈疾患における民族横断的GWASを行いました。その結果、冠動脈疾患と関連を示す175の疾患感受性座位を同定しました。このうち35領域は新たに同定されたものでした。今回見つかった疾患感受性座位の中には、冠動脈疾患の治療薬のターゲットとして有用な遺伝子が含まれている可能性があり、今後の治療薬開発において重要な情報になると考えられます。
続いて、今回得られた遺伝的変異と疾患の関連解析結果を用いてGRSを作成し、その予測性能を日本のゲノムコホート(JPHC研究、J-MICC研究、OACIS研究)で調べました。特定の民族集団のGWASの結果から算出したGRSは他民族集団には適合せず、予測性能が低いことは以前から知られていました。本研究においてもヨーロッパ人集団のGWAS結果から作成したGRSは、日本人のGWAS結果から作成したGRSと比較して、日本人における予測性能が低いことが確認されました。そこで、民族横断的GWASの結果を用いてGRSを作成したところ、民族横断的GRSの性能は、日本人データによるGRSやヨーロッパ人集団データによるGRSを上回ることが分かりしました(図2)。

今回の研究によって、冠動脈疾患の遺伝的背景について日本人集団とヨーロッパ人集団の共通点と相違点が明らかになりました。これらの結果は今後の我が国におけるゲノム情報に基づく精密医療の実現において重要な情報を提供すると考えられます。